町内の西北端、坂上通りを野猿街道に出る少し前の左角に石碑があります。知っている人はたくさんいると思います。
石碑には「越野 打越・北野境界基準雷松跡記念碑」と掘ってあります。以前から碑の裏面にはどのようなことが彫ってあるのか、気になっていました。今回、思い切って石碑の裏に回ってみて何が彫ってあるか見てみました。
内容は「雷松の由緒」について3つのことが記されています。
①昔、夏になるとここにあった松の大木によく雷が落ちた。住民は、この大木を雷松と呼ぶようになった。②この辺には松の大木が多くあった。北条氏照の家臣の大石某が松の下で自害した。雷松はこの大石松と並んで有名である。③明治3年、山林の所有を巡って争っていた北野村と打越村が、第三者の立会いの下、この松を基点に境界線を引き円満解決した。
この雷松は宅地造成する際、切り倒されたそうです。昭和41年、雷松の由緒を後世に残すため、この松に縁のある打越町と北野町の町会が碑を建立したのだと思います。
昔があって今があります。歴史を後世に残すことは大切なことです。この碑を残してくれた先輩に感謝します。また、山林の入会地や大石松のこともさらに調べてみるのも面白いですね。
雷松の由緒(一部省略)