横藤田さんの白寿のお祝いをしました。

ポラーノは、今年の2月に99歳になられた横藤田さんの白寿のお祝いを催しました。

この日は、横藤田さんをお祝いしようと、コロナ禍の中でしたが、40人ほどの方々が集まりました。

お祝いの会は、2時からインタビューで始まりました。会場に現れた横藤田さんは99歳とは思えない矍鑠とした姿で登場し、久保悠治さんによるインタビュー受けました。

横藤田さんは、大正12年(1923年)2月、広島県橋田町(今の福山市)に5人兄妹の3男として生まれ・育ち、大正・昭和・平成・令和を過ごしてきた。

小学校は剣道、中学校では柔道で体を鍛えた。特に中学校では5年間、約10キロを自転車で寒稽古、夏の稽古にも通った。

昭和18年、20歳で徴兵検査を受け、第1期の学徒出陣であった。6か月の訓練後、昭和19年12月、ニューギニア行きに立候補したが、台湾に出征し航空隊に入隊した。横藤田さんは、後続部隊で整備を行っていたが、飛行兵は。沖縄に出撃して、ほとんどが帰還することはなかった。

酒は飲めない。スポーツは、何十年も前の話だが、会社に入ったころ、卓球をやっていた。東京地区に工場が3つあり、対抗試合が行われ選手で出ていた。2対2から大将戦となり、実力が上の相手に勝ってしまうということもあった。年を取ってからは、ゴルフをやった。

ケガは、60代になった頃、庭で梯子の上に立って木を切っていた時、コンクリートの上に落ち、ろっ骨を3本、頭を5針縫ったことが一番大きいケガだが、本人は痛いとも感じなかった。

病気は、90歳過ぎてから無呼吸症候群でペースメーカーを入れている。

長生きできたのは、親が授けてくれた頑強な体、子ども時代の田舎での鍛錬、戦争で生き延びた強運。今は皆さんのお世話をいただいてここまで来ました。とインタビューを締めくくりました。

続いて、青島イツ子さんの友情出演となりました。横藤田さんとは民謡グループで一緒だった青島さんは民謡の「秋田おばこ」を唄いました。三味線は高橋曙美さんが合わせます。青島さんも横藤田さんに負けじと若い張りのある声を披露しました。

続いて、本日のメインイベント、横藤田さんの民謡を2曲、「武田節」と「忠義桜」を唄いましましたが、特に「武田節」では詩吟を交えて3番まで堂々と唄い、吟じました。会場の皆さんも横藤田さんのパワーを感じ、聴き入りました。

最後に、ポラーノ代表の中島さんから花束が贈られました。席に戻った横藤田さんの周りには親しい皆さんが代わる代わるお祝いを述べ、横藤田さんの人柄を感じさせる場面がみられました。

絹一は超高齢者の街です。しかし、街全体でお互いを支えあって、明るく元気な街づくりを目指しています。横藤田さん、次の目標は「茶寿(108歳)」、いつまでもお元気で私たちを引っ張っていていただきたいと思いま

インタビューする久保さん

インタビューに応える横藤田さん

「秋田おばこ」を唄う青島さんと、三味線の高橋さん

横藤田さん民謡を唄う

ポラーノ代表の中島さんから花束を受ける横藤田さん

会場の様子

 

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