2021年、明けましておめでとうございます。
今年は、6時50分ごろから朝焼けのグラデーションの中で美しい初日の出日を見ることが出来ました。近場で絶好のスポットに恵まれ清々しい気持ちになれる環境に感謝です。
本年も四季ニュースよろしくお願いいたします。
iwa
2021年、明けましておめでとうございます。
今年は、6時50分ごろから朝焼けのグラデーションの中で美しい初日の出日を見ることが出来ました。近場で絶好のスポットに恵まれ清々しい気持ちになれる環境に感謝です。
本年も四季ニュースよろしくお願いいたします。
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六社宮の近くにお地蔵様と並んでちょっと変わった石塔があります。レリーフで描かれた像はだいぶ形が崩れていますが、腕が6本あり顔の表情は怒っているように見えます。そして、その下には三猿も描かれています。また、側面には寛政2年(1790年)と彫られているので、今から230年前に作られたもののようです。
この石塔は、庚申塔とよばれ、江戸時代からこの地域に庚申信仰が根付いていたことがわかります。彫られている像は、青面金剛(しょうめんこんごう)といい日本の民間信仰である庚申信仰の中で独自に発展した尊像で、庚申講の本尊として知られ、三尸虫(さんしちゅう)が体内から逃げ出さないよう押さえる神とされています。また、三猿が描かれているのは庚申信仰は猿との関係が深く、「見ざる、言わざる、聞かざる」の行為の大切さを伝えるためといわれています。
長沼に長くお住いで26代目、95歳の長老のお話で「庚申様は手が8本(二・四・六・八臂の場合もある)なので賢いんだといわれていた。昔は、この地域で講中(庚申講)を作って例えば、葬式があると旗を作ったり、墓穴を掘ったりして、お互いが助け合った。向こう三軒両隣で、ご主人の体が悪いと、助けに行ったものだ。最近は不幸を喜ぶ風潮がある。さみしい時代になった。」とお話しされていたのが印象的でした。
石塔の側面に寛政二庚戌四月とある
紅葉もそろそろ見納めです。紅葉した葉を落とす木々も多くなりました。木々が紅葉し、葉を落とすのは寒い冬を乗り越える準備のためです。
木々は、晩夏から秋に形成された冬芽(とうが)で、休眠・越冬して、春に伸びて葉や花になります。寒さを防ぐため鱗片(りんぺん)でおおわれています。また、冬になると気温が下がり、乾燥した地中から水を吸い上げにくくなるため、水分が出ていきやすい葉の部分を落として体の水分が失われるのを防いでいます。このように葉が落ちた枝に葉の痕跡が残ります。これを葉痕(ようこん)といいます。この葉痕がどこか人面に似ていておもしろいという葉痕ファンがいるようです。
12月12日(土)にカメラを担いで、冬芽と葉痕を見つけに長沼公園を歩いてみました。結果は以下の不出来な写真です。木々の名前がわからないのと、葉痕はこれまで意識して観察したことないなど、もう少し勉強が必要のようです。
12月に入り、1週間経ちました。今年の長沼公園の紅葉もそろそろ見納めのようです。最後の力を振り絞って私たちに美しい景色を見せてくれます。これからは、葉を落とすと空が広くなります。
noura
11月14日の長沼公園の紹介で、紅葉はまだ早く、今月末か12月ではとコメントしましたが、長沼公園の石碑のあるモミジの美しい場所の紅葉は、ご覧のような見ごろとなっておりました。場所によって木の種類によって進み具合が違いますね。訂正並びにお詫びです。今度の3連休が見ごろでしょうか。3密を避けてご覧ください。
noura
秋、真っただ中の11月14日、野猿の尾根道を野猿峠口から平山口まで歩いてみました。秋晴れが続いている八王子ですが、この日も抜けるような青空で、気温も20度、歩くのにちょうどいい陽気でした。土曜日のこの日は、結構人出が多く、トレッキング姿の個人やグループの人たち、ご夫婦でゆっくり散歩を楽しむ方、スポーティーな姿で脇を走り抜ける人、多くの人がいろいろな形で秋を楽しんでいました。
注目の紅葉ですが、朝晩の冷え込みが弱いこともあって、もう少し先という状態でした。11月末から12月にかけてが見頃でしょうか。
自転車に乗って展望広場まで来てくれました
峠の小さな美術館は公開中です
霧降の道への分岐点付近で
平山口に近い東屋周辺で
野猿の尾根道沿いに100年前からあるという鎌田鳥山があります。そのお店の前、尾根道から一段高いところに板状の石碑があるのをご存じでしょうか。その碑には「皇太子殿下御会遊所碑」と刻まれています。碑の裏側に回ってみると、碑が建てられた理由が次のように彫られていました。
昭和三十年三月二日
皇太子殿下第四回サモア會を當亭に催し會友二十五名と共に親しく當亭の小鳥料理を食召さる誠に恐惶感喜の至り堪へさる所なり、茲に謹みて碑を建て以て永く之を記念す。
昭和三十年九月一日
鎌田 ○○
大山 ○○
昭和30年3月2日、現在の上皇様が皇太子時代に友人25人と鎌田鳥山でサモア会を催し、野鳥料理を召し上がったことに感激して、鎌田、大山両氏が記念の碑を建てたということのようです。昭和30年は1955年で今から65年前、上皇様は21歳でした。当時は皇太子殿下をどのようにお迎えしたのでしょうか。また、サモア会とは?、いろいろ知りたいことが広がります。
石碑の裏側
前日の雨が上がり、久しぶりに太陽が顔を出した10月18日(日)、絹ヶ丘口から六社宮まで、殿ヶ谷の道を歩いてみました。
寒い日が続いたので紅葉は進んだかと思いましたが、まだまだという感じ、長沼公園の紅葉はやはり11月ということでしょうか。雨上がりの道は一部、ぬかるんでいましたが、約20分で六社宮に到着しました。
名前がないので「ななしバシ」を渡ります。
御神木からパワーをいただきましょう。
八王子の8月の気温は、毎日30度を超える暑い日が続きました。9月になって台風の影響もあって、はっきりしない日がつづき、30度を切る日がでて、朝晩は涼しくなってきました。13日久しぶりに公園を歩いてみました。
この日も太陽は厚い雲に隠れ、時折、雨がぱらつく天気でした。公園は、桜の木は少し黄ばんでいますが全体は、まだまだ夏の景色でした。ただ、蝉の声に交じって虫の声が聞こえてきます。残り少ない花にチョウなど昆虫が忙しく飛び交っていました。ススキの穂も目立つようになり秋がすぐそこに来ていることを感じました。しかし、家に戻る頃には汗びっしょり、涼しい秋はもうちょっと先かなと思い直しました。
以上
町内の西北端、坂上通りを野猿街道に出る少し前の左角に石碑があります。知っている人はたくさんいると思います。
石碑には「越野 打越・北野境界基準雷松跡記念碑」と掘ってあります。以前から碑の裏面にはどのようなことが彫ってあるのか、気になっていました。今回、思い切って石碑の裏に回ってみて何が彫ってあるか見てみました。
内容は「雷松の由緒」について3つのことが記されています。
①昔、夏になるとここにあった松の大木によく雷が落ちた。住民は、この大木を雷松と呼ぶようになった。②この辺には松の大木が多くあった。北条氏照の家臣の大石某が松の下で自害した。雷松はこの大石松と並んで有名である。③明治3年、山林の所有を巡って争っていた北野村と打越村が、第三者の立会いの下、この松を基点に境界線を引き円満解決した。
この雷松は宅地造成する際、切り倒されたそうです。昭和41年、雷松の由緒を後世に残すため、この松に縁のある打越町と北野町の町会が碑を建立したのだと思います。
昔があって今があります。歴史を後世に残すことは大切なことです。この碑を残してくれた先輩に感謝します。また、山林の入会地や大石松のこともさらに調べてみるのも面白いですね。
雷松の由緒(一部省略)